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‘02年、「minä」デザイナー皆川明氏、
‘03年、「FRAPBOIS」デザイナー宇津木えり氏、 ‘04年、「YAB−YAM」デザイナー、 パトリック・ライアン氏&吉田真実氏と、毎年第一線で活躍中のクリエイターを招いて開催されているデザイナー講演。 ‘05デザイナー講演は、独自のスタイルでご活 躍されるお二人のデザイナーをお招きしました。
’74年神奈川県生まれ。専門学校中退後、古着屋で3年間バイヤーとショップマネージャーを兼任。’96年、古着のセレクトショップ「go-getter」の立ち上げに携わり、’99年より同店でリメイクやオリジナルの展開を始める。’00年、本格的にオリジナルを展開するために「Mister hollywood」をオープンする。
’02年にクラブイベント内で初コレクションを発表。以来毎シーズン、コレクションを発表しつづけている。
N.ハリウッドのデザイナーとして活躍されている尾花大輔氏に来阪いただき、ブランド立ち上げ時から参加されている庄司信也氏とともに講演をしていただきました。
僕はもともとデザイナーになろうと思って服をつくったわけじゃないんですね。ずっと古着のバイイングをしていたんですが、古着の価値として、コンディションがよい、またはアンティークで古いものがよい、というようになってきたんですね。そういうことにいろいろ疑問を感じるようになったんです。
じゃあ、自分が実際着ているものはなんだろうと思った時、ボロボロのTシャツとかジーパンとか、コンディションが悪くても雰囲気いいじゃん、みたいなものなんですよ。「じゃあ、コレ、お客さんも着てくれるんじゃないかな」というわけで、リメイクや、古着でもかたよったセレクトをしたり、“ないならつくろう”と自分でつくりたいものをつくったりしはじめたんです。 そんな時に、クラブイベントの中でコレクションらしきものをやる機会があってね。演出家の人も参加してくれて、本物のファッションショーと同じシチュエーションでできたんですよ。その時、ステージの裏方にいないで、表でショーを見てたんだよね。すごい感動してね。 これをきっかけに、ひとつのテーマを持ってデザインして、コレクションみたいなことをやれたらいいかなと。それが最初だったんです。
コレクションが終わったあとにはいつもアメリカに行って、いろんな所を旅して回るんです。いろんなものに触れて、興味をひかれたものは本を読み、いろいろ調べて、それでコレクションのテーマを決めているんですね。だいたい2シーズン先までのテーマは決めている。僕はデザイナー畑の人間じゃないから、突発的にワーッとか、そういう勢いではできないしね。ドローイングには、あんまり時間がかからないですね。それよりも、煮つめていく時間の方が重要。それをしておかないと、生産、プレスなどその後の工程担当の人に自信を持って伝えられないですから。
今シーズンはオマージュで、ある人をテーマに追いかけました。エドワード・ゴーリーという絵本作家で、絵の線の描き方とか、その人の生き方や感じてきたもの、それらを全部自分のフィルターをとおして表現してみたんです。 メンズのコレクションの難しさは、レディースとは違う地味さ。クラシックなものが好きなのもあって、どうしても渋いラインナップになるけど、あまりストイックすぎてもショーをする意味がなくなってしまうし…。時間をかけてこの服をつくった理由だったり、重みだったりが要求されるのがメンズというものなのかもしれないな。最近の若い人は、プラスもなければマイナスもない人が多い。マイナスもゴ〜ンとあるけど、プラスもゴ〜ンとあるというか、印象に残る何かを発している人になってほしい。ファッションを勉強しているからといって、それにまつわる資料や本じゃなくてもいいから、自分がひかれたものを掘り下げていったところのどこかで、点と点が線になるところに出会えると思う。そうして自分の芯を持つとゆったりとした視野を持てるし、グラつかない。何でもいいから興味のあることを突き詰めてみてください。
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’96年、大阪文化服装学院卒業後、(株)タカヤ商事入社。翌年、(有)フルカウント入社。’00年に独立し、C・U・Eを設立。
’01年、10ピースの商品で東京、大阪にて展示会を行い、8件のクライアントと取引を開始する。同時にOEM事業をスタート。’02年、大阪にアトリエ兼ショップをオープン。’03年、(有)C・U・Eを設立。ワークやミリタリーをベースに毎シーズン、コンセプトを設定し、ブランド「TALKING ABOUT THE ABSTRACTION」など、デザイン性を加えたデイリーウエアを展開している。
第2部では、’96年に大阪文化服装学院を卒業し、現在ではプランナーとして活躍されている大塚慎吾氏をお迎えし、お話をうかがいました。
僕はもともとテキスタイルにすごく興味があったので、大阪文化服装学院で学び、卒業して最初にデニムの販売やリーバイスの代理店を行っている会社に就職。販売の仕事を通じて学んだことは、お客様にどうやったら満足してもらえるかを考えるということですね。ちょうどその頃にテンセルという素材に出会って、天然繊維の、化繊にはないよさにひかれて、そうした素材を使って自分でも服をつくりたいと思ってたんです。次に入社した会社では、出荷の仕事からはじめて、自分の強い希望で2ヵ月後にはヴィンテージウエアの生地企画や縫製指示の仕事をさせてもらいました。それらの経験をベースに’01年にC・U・Eを設立したのですが、何もかも一からのスタート。事務所の机は拾ってきたものだし、唯一のハイテク機器がファックスという状態でした。
スタンスとして年に2回展示会をすると考えていたので、最初の半年くらいは商品の制作に追われるわけです。だから、無収入。自分のものを売って生活していました。この頃、知り合いの人に声をかけてもらって、OEM事業をはじめました。いわば、素材や加工などブランドに対する「提案」で、展示会のサンプル制作、その後のオーダーに対する生産まで行います。 ミハラ・ヤスヒロ氏やTMT、RIP VAN WINKLE、WJKなどとの取引も行っています。
ずっとデニムという素材に携わってきたので、最初の展示会はデニムにこだわったものでした。テーマは「人の温もり」。デニム=アメカジというイメージではなく、違った解釈で見せようと思ったんです。デニムのよさというのは、ひとつひとつが違うこと。何も表情のないものが、時間が経つにつれて自分だけのものになっていく。最初は100%ではなくて、着込んでいくと風合いが出てそれ以上になっていくんです。その後は、プリントの転写シリーズも展開しました。
ヴィンテージのデニムの良さは持っていた人の記憶であり、歴史。そこに感動を覚え、そのままを服に取り入れていきたいと考えて、それをかなえる方法のひとつがプリントだと思った。時を超えて感動を伝えたかったんですね。 僕はOBFCの学生だった頃、やるかぎりは一番になりたいという思いがありましたから、とにかくすべてに対してがんばりました。取り組む時間は山ほどありましたから。ホントに没頭し充実していました。いま学生時代の自分に点数を付けるとしたら、100点です。そしていまの自分も、やりたいことができているということで100点です。
学生の皆さんも、いま精一杯できていれば、10年後もやっていけます。でも、いま努力できなければ、将来的にも努力できない。 素材の知識、縫製やビジュアルの知識などは、アパレル関係のどんな職種についてもホントに基礎になるものです。いろんなことが学べる環境と時間があるいまこそ、それを最大限に生かして全力で学んでおいてください。今日はこうだったと1日1日に感想が持て、納得ができればいいと思います。 ![]() |
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